土地の情報を知りたくて、法務局で不動産登記情報を取得した時、所在や住所欄に普段は聞きなれない大字△△との地名を見たことがあると思います。
また、相続が発生した時に、戸籍の本籍地欄に、見慣れない大字△△の文字を見る方もいたのではないでしょうか。今回は、大字について記事にします。
こんな形で書かれています。大字△△
〇〇市大字△△123番地
以上のような形が大字の一般的な形として表記されます。
よく市町村の後に、『大字』や『字』と記載され、大字△△や字△△と△△の部分を大字と一般的に呼びます。
大字は明治の大合併の市制・町村制によってできた。
明治には入ってから政府は、近代国家の地方行政機関としての機能の任に耐えられるために、行政区画について何回か改革が行われてきました。江戸時代の幕藩体制の村や町を踏襲するかたちで、区番組制や群区町村編成法などを行ってきましたが、区画の定め方や運用に統一を欠き、また行政単位が小さいなど問題がありました。
幕藩体制の村や町には、100戸未満の小規模なものが5万近くあったと言われています。
そこで、明治政府はいくつかの町村を統合し適切な大きさにするために『市制』『町村制』を定め、これに基づいて合併が進められたました。
それがいわゆる『明治の大合併』です。
この大合併により、市町村数は7万1314町村から1万5820町村へ激減しました。
(日本加除出版『全訂 全国市長村長名変遷総覧』平成18年<2006>の巻末資料参照)
『市制』『町村制』が公布された際の内務省訓令(第352号・第6条)では、新町村名と大字について、新町村名には新たに名前を付け、昔からある村や町を『大字』とせよとしました。
これによって、『大字』が生まれた。
大字が出来るまでからなくなるまでの変遷
大字は今でも多くの地域でも残っています。しかし、一部の大字は昭和の大合併や平成の大合併などで、その姿を変えたり、また失くしたりしています。
今回は茨城県取手市寺田の変化を例に挙げたいと思います。
- 群区町村編制法~北相馬郡寺田村
- 町村制施行後~北相馬郡寺原村大字寺田(寺田村と桑原村が合併して「寺原村」が誕生した。)
- 平成17年まで~取手市大字寺田
- 現在~取手市寺田
以上のように、時代の移り変わりの中変化していった地名もありますが、一般的には大字は明治時代に近代的な地方行政機関を作っていく中、幕藩体制の町村名を地名として残したものです。
まだ、大字が残っている地名は多くあります。
是非、自身の住んでいる地名を調べてみて、大字の地名を発見したら、その昔の地名を調べてみるのも、
面白いかもしれません。
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